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信濃史学会のあゆみ |
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| 第T次「信濃」(四六倍版)は、昭和7年1月創刊された、同13年7月まで月刊をつづけ、この間、6年7カ月、79冊、頁数2,843(1冊平均36頁)を刊行した。第U次「信濃」(菊版)は、信濃史学会の機関誌として、3年5カ月後の昭和17年1月創刊され、同22年3月まで月刊をつづけ、この間、5年3カ月、57冊、頁数2,849(1冊平均50頁)を刊行した。(尤も、20年3月以降は、戦時下の出版統制により、信濃史学会は、信濃毎日新聞社にこれを委譲した。) 第V次「信濃」(A5版)は、信濃史学会の機関誌として、2年2カ月後の昭和24年5月創刊され、現在まで月刊をつづけている。(創刊当初は、信濃郷土研究会の名称を用いていたが、昭和32年1月号(第9巻第1号)以後、信濃史学会に復し、現在にいたっている。)…(中略)… 第T次「信濃」の経営は、町田礼助氏(長野市川中島町北原出身、慶応3年生〜昭和19年没)が、編集はもとより、経済的にも、終始個人で当たられた。(雑誌奥付によれば、編集発行人ほ、清水與助氏から町田氏の子息町田佑治・同修三氏と継いでいるが、それは、名義上のことに過ぎない。)同氏は長野新聞の編輯長をしたこともあるが、後、六十三銀行の重要な地位におり、地方史研究に深い造詣をもっておられた。職を退かれてから、親友であった地方史家栗岩英治氏(明治11年生〜昭和31年没)に諮り、いわば、栗岩氏の研究を促進せしめる含みをもって、「信濃」の発行を企てられたのである(当時、わたくしは、町田氏から編集の相談にあずかり、若干のお手伝いをしていたに過ぎなかった)。 このころ、全国的に地方史研究の風潮が勃然として起こり、有力な月刊地方史誌の刊行が次々に各地で企てられた事実を見過ごしてならないと思う。この第T次「信濃」の内容は、雑然としたものであったにしても、その長野県内における地方史研究のうえに残した足跡と果たした役割とには、重大な歴史的意義があるといってよく、町田氏の功績には、永く讃えられるべきものがあろう。 第T次「信濃」が経済上の理由と町田氏の健康事情とから廃刊するにいたった寂莫に堪えられず、わたくしは、単独で発刊を思いたち、信濃毎日新聞社に、その会計と発刊とをお願いし、自分はもっぱら編集に当たることとした。第U次「信濃」は、第T次の経験を生かしながら、純学術誌としての性格をもつことにつとめた。戦争が激烈となるにしたがって、身辺に暇がなく 実に苦しい編集をつづけた。終戦の年である昭和20年に入ってから、出版統制がとくにきびしくなって、出版会員番号を有さぬ雑誌の発行はできないこととなり、あわせて、長野県下では2誌しか許されなくなったので、「信濃」を信濃史学会機関誌の立場からはずして手離し、編集・発行をあげて信濃毎日新聞社に委譲することとした。たまたま、諏訪地方で刊行されていた『郷土』(主幹今井黙天氏)が、出版会員者号343、026を有していたので、それを合併し、新たに綜合学術文化雑誌の標題を掲げ、多分に大衆的な性格をもつ雑誌に変貌していったのである。それも、戦後、用紙の入手が困難急迫を告げるにいたったため、わずか2年にして、再び廃刊せざるを得なくなった。 第V次「信濃」の創刊については、第U次「信濃」の廃刊前後から、わたしの脳裡を去来していたのであるが、用紙の入手難に加うるに経済的事情から、いたずらに2年余を過ごしてしまった。今次は、編集・会計・発行とも自分ひとりの手で行うことに決め、最も苦心した用紙についてほ、幸い文部省が認めて数年間にわたり配給交付してくれたので、経済的には苦しい年月を重ねたが、一応の見通しをもつことができるようになった。かくてこの10年来、漸く軌道に乗った経営ができるようになった。尤も、この間、わたくしの身辺多忙の事情から、昭和36年4月〜38年9月、事務所を長野市南県町信濃史料刊行会内に移し、編集責任者を塚田正朋氏に代わっていただいたことがあった。 信濃史学会が、機関誌「信濃」の刊行をつづけるほか、学会としての総合的、積極的な活動をつづけるようになったのは、昭和38年春からのことである。 以上は、第T・第U・第V次「信濃」の刊行経過の概要である。…(中略)… 昭和57年11月15日 ( 当時信濃史学会長であった一志茂樹氏が、『信濃総索引第三版』(1983年)の「はしがき」記したものを引用。) |
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| 信濃史学会略年表 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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[第三次『信濃』29巻10号「信濃史学会略年表」(小穴芳実氏まとめ)、及び51巻12号「信濃史学会の歩み」(小松芳郎氏まとめ)から抄出した。] |
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